2012年12月21日金曜日

中国動乱への序曲(1):流動人口増加

_





WEDGE infinity 2012年12月18日(Tue)  石 平 (中国問題・日中問題評論家)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2442

習近平政権発足後も多発する暴動
2億人の「現代流民」と本格的な「尖閣危機」の到来

 去る12月15日、中国の習近平政権が樹立してから1カ月余が経った。
 その間における中国の国内状況を見ると、新政権を取り巻く社会情勢が実に深刻なものであることがよく分かる。

 政権発足からわずか10日間で、国内における大規模な暴動事件が3件も発生した。
 まずは11月17日、習近平総書記自身がトップを務めた福建省寧徳市で、地元警察の汚職を疑う市民ら約1万人が暴動を起こして警察を襲った。
 そして20日、浙江省温州市郊外の農村で、変電所建設に反対する地元住民1000人以上が警官隊300人と衝突し、200人が負傷した。
 その翌日の21日、今度は四川省広安市隣水県で、地元公安当局に抗議する住民1万人余りの暴動が起きた。公安当局の車が数台破壊され、20人の市民が負傷した。

暴動を起こしたくてうずうずしている「予備軍」

 政権発足直後の暴動の多発は、指導部人事に対する人々の絶望の現れの側面もあろうが、暴動に至るまでの経緯やその原因を見てみれば、その背後にあるのはやはり、今の体制と社会状況全体に対する国民の強い不満と反発であることが分かる。

 たとえば広安市隣水県で起きた暴動の場合、オードバイを運転していた住民が警察に殴られたことが事件の発端である。
 寧徳市の暴動の場合、1件の交通事故の発生が地元警察の汚職疑惑をもたらしたことがすべての始まりだ。
 普通の国ではおよそ「暴動」と結びつけることの出来ない、警察による暴力沙汰や汚職疑惑が、中国では1万人以上が参加する暴動発生の十分な原因となりうるのだ。

 言ってみれば、人々は何らかの切実な理由があって「やむを得ず」暴動を起こしたというよりも、むしろ暴動を起こしたくてうずうずしている中で、ちょっとした口実でもあればすぐそれに飛びついて一暴れするのである。
 おそらく中国のどこの町でも、このような危険極まりのない暴動予備軍は常に万人単位で存在しているのであろう。
 それは常に、習近平体制にとっての深刻な脅威となるのである。

2億人にものぼる「流動人口」とは?

 このような暴動予備軍を生んだ原因とは何か。
 2012年10月に中国政府によって公表されたある数字を見てみればすぐに分かる。

 2012年10月6日、中国の各メディアが国家人口計画生育委員会近日発表の「中国流動人口発展報告2012」の主な内容を伝えた。
 それによると、
 2011年末に中国全国の流動人口が史上最高の2.3億人
に達しており、
 その8割は農村戸籍を持つ者で、
 平均年齢は28歳
であるという。

 中国でいう「流動人口」とは、要するに安定した生活基盤を持たずにして職場と住居を転々する人々のことを指している。
 日本の総人口より1億も多い人々がこのような不安定な生活をしていることはまさに驚くべき「中国的現実」だが、そういう人々の大半が農村部から流れてきた「農民工」であることは、上述の「8割が農村戸籍」との数字によっても示されている。

 今まで、それほど大勢の「農民工」に生活の糧を与えていたのは、
 中国の高度成長を支えてきた
①.「対外輸出の急成長」
②.「固定資産投資の継続的拡大」
である。

 沿岸地域の輸出向け加工産業が繁栄すると、内陸部農村出身の若者たちが大量に「集団就職」してくる。
 そして不動産投資や公共事業投資が盛んであった時には、農民工の多くはまた、建設現場の労働力として吸収される。
 つまり、高度成長が継続している間は、農民工は「流動人口」となっていても、異郷の都市部で何とか生計を立てることができた。

 だが、2011年の後半から、世界的経済不況と中国国内の生産コストの上昇が原因で中国の対外輸出が大幅に減速してしまい、
 金融引き締めのなかで公共事業投資が激減した。
 それに加えて、
 不動産バブルの崩壊が始まると、全国的な「大普請ブーム」はもはや過去のもの
となりつつある。

 その結果、多くの農民工が輸出産業と建設現場から「余剰労働力」として吐き出される羽目になった。
 今年の7月に入ってから、中国の沿岸地域で企業倒産とリストラの嵐が吹き荒れている中で、職を失った農民工の「帰郷ラッシュ」が起きていることが国内の各メディアによって報じられているが、それはまさに、農民工のおかれている厳しい現状の現れであろう。

「新世代農民工の集団的焦燥感に注目せよ」

 都市部での職を失って帰郷できるのはまだ良い方である。
 前述の「報告」が示しているように、現在の農民工たちの平均年齢は28歳で、20代が大半である。
 いわば「農民工二世」の彼らの多くは実は都市部で成長していてすでに「農民」ではなくなっている。
 彼らはいまさら農村部に帰っても耕す農地もないし、農作業のことは何も分からない。
 彼らにはもはや、「帰郷」すべき「郷」というものがないのである。

 農村には帰れず都市部にとどまっても満足に職に就けない彼らの存在は当然、深刻な社会問題となってくる。
 その人数が億単位にでも達していれば、それこそ政権にとってたいへん危険な「不安定要素」となろう。
 中国共産党中央党学校が発行する「学習時報」の8月6日号は、
 「新世代農民工の集団的焦燥感に注目せよ」
との原稿を掲載して
 「新世代農民工たちの焦燥感が集団的憤怒に発展するのを防ぐべきだ」
と論じたのは、まさにこの問題に対する政権の危機感の現れであろう。

 中国の歴史上、農村部での生活基盤を失って都市部に流れてくる「流民」の存在は常に王朝にとっての大いなる脅威であった。
 行き場を失った流民の暴発はいつも、王朝崩壊の引き金となるからだ。
 今の中国共産党政権は果たして、億単位の「現代流民」の「集団的憤怒」の爆発を防ぐことができるのだろうか。
 もしそれがうまく出来なかったら、
 天下を揺るがすような大乱が「近いうち」に起きてくるのはけっしてあり得ないことではない。
 習政権樹立後における暴動の多発は、まさに天下大乱が起きてくることの前兆
と見てよいであろう。

対外的な強硬政策で国民の目を外に向かわせる

 さて、習近平政権は今後一体どうやってそういう人々を手なずけて民衆の爆発を防ごうとするのだろうか。
 おそらく彼らに残される最後の有効手段の1つは、
 すなわち対外的な強硬政策を推し進めることによって国民の目を外に向かわせることであろう。

 実際、習政権はその発足からの数週間で、海軍の「虎の子」の新空母で初の着艦試験を成功させたり、東シナ海と南シナ海でそれぞれ軍事演習を実行したり、フィリピンなどと領有権を争う南シナ海周辺を自国領と紹介する軍監修の地図を発売したりして、軍中心の挑発的な行動を頻繁に展開し始めている。

 そして習総書記自身、11月29日、6人の政治局常務委員らを伴い北京市の国家博物館を訪問して中国近現代史の展覧会を参観した後に、
 「アヘン戦争から170年余りの奮闘は、中華民族の偉大な復興への明るい未来を示している」
などと国民に語りかけた。
 約10分の演説で、彼は「中華民族」や「(中華民族の)偉大な復興」という言葉を合わせて20回近く連呼した。
 11月15日の総書記就任披露目の内外会見でも、彼の口から頻繁に出たキーワートの1つはやはり「民族の偉大なる復興」なのである。

 かつての江沢民政権と同様、ウルトラ・ナショナリズムに縋(すが)ってそれを国内危機脱出の手段に用いることはすでに、習近平政権の既定路線となっているようである。

「日本と闘争する」発言の重み

 そして今後、経済低迷のなかで流民の暴発などによる国内危機の拡大という局面にさしかかった時、習近平政権は結局、
 国内の混乱収拾のためにわざと国際的危機を作り出して国民の目を外に逸らすような方策に打って出るのであろう。
 そうなった場合、尖閣と日本はまさに、彼らにとっての格好の餌食となる可能性が大である。

 それを予兆しているかのように、12月13日、日中間で未曾有の緊急事態が生じた。
 尖閣諸島の魚釣島付近で中国国家海洋局所属のプロペラ機1機が領空侵犯した。
 中国機による日本の領空侵犯は自衛隊が統計を取り始めた1958年以来初めてである。
 習政権が樹立してから1カ月余、尖閣諸島やその付近の海域で日本側はいかなる単独行動も取っていないにもかかわらず、中国側は一方的な挑発行為を執拗に繰り返してきた。
 その中で
 習政権はとうとう、日本領空への初めての侵犯に踏み切った。

  翌日の14日、中国の楊潔チ外相は人民日報に寄稿して習政権の対外政策を語った中、日本側の尖閣国有化に関しては
 「断固として日本との闘争を行う」
と明言した。
 日中国交回復して40年、中国の外交責任者の口から「日本と闘争する」という激しい言葉が吐かれるのはおそらく初めてであろう。

 一国の外相は外交上の最低限の礼儀や配慮も顧みずにして、「闘争する」という赤裸々な「対敵国用語」を使い始めたこと自体、習政権がすでに実質上の「対日敵視政策」にかじを切ったことの証拠であろう。
 同じ日に、人民日報系の環球時報は社説を掲載して尖閣へ向かって中国軍機を派遣するなどの
 「あらゆる行動をとる権利を保留する」と言って露骨な軍事恫喝を行った。

 どうやら習近平政権は本気で、日本との「尖閣紛争」を徹底的に戦い抜く腹づもりなのだ
 日本にとっての本格的な「尖閣危機」がいよいよ迫ってくるのである。


 中国政府が自民党を選んだ最大の理由は、
 国内の行き詰まった状況を国外問題に転化するために、強硬な主張を述べる自民党の方が、やりやすいからからである。

 尖閣問題はまだまだエスカレートするだろう。
 中国は国民の不満をそらすために、意図的にエスカレートさせることになる。
 とすれば、危険が迫ってくる、ということになる。
 これは日本にとっても中国にとってもである。
 日本は自国を守るだけの理性をもっている。
 しかし中国はどうだろう。
 まず、流動人口の増加、端的にいうと経済発展の鈍化による失業問題が大きな社会不安となってくる。
 さらに、煽られた解放軍が暴走することが懸念される。
 軍部の暴走は日本ではすでに経験済みだが、中国では内乱に発展する可能性がある。



レコードチャイナ 配信日時:2012年12月26日 8時40分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=67811&type=0

中国の新しい移民問題、「嫁探し」目的で都会へ流れる農民たち―米メディア

  2012年12月20日、米ラジオ局ボイス・オブ・アメリカは
  「中国の新しい移民問題―嫁探し」
と題した記事を掲載した。
  22日付で環球時報が伝えた。

 古来、人類は1つの地域から別の地域への移動を繰り返してきたが、それはすべて生きるための手段であった。
 しかし、中国では専門家たちが注目している大規模な民族移動が思いもよらない理由で行われている。
 それは「嫁探し」だ。

 中国文化は男性至上主義だ。
 「一人っ子政策」と堕胎手術の安全性の向上から、中国の人口の男女比率は圧倒的に男性が高い。
 米調査会社によると、現在中国では4100万人の男性が結婚できない状況にあり、
 今後10年でその数は5500万人に膨れ上がるとみられている。
 中国農村部の男性が都市部に押し寄せる理由は、「嫁探し」のためだ。

 作家でジャーナリストのマーラ・ヴィステンドール氏は著書「不自然な選択」のなかで、
 「中国国内の人口移動はさらに拡大しており、その移民の多くは男性
 男女比率の不均衡が売春と性病のまん延を引き起こしている」
と指摘している。

 人類の正常な男女出生比率は105:100。
 だが今の中国は120:100だ
 ヴィステンドール氏は
 「19世紀にも数十年間にわたって男性過多の時代があったが、その時は多くの中国男性が米カリフォルニアに移住し、鉄道建設に従事した」
と指摘。
 現在の中国の状況はさらに深刻なものだが、「男は結婚すべし」という強固な観念が根づいているため、結婚できない15%の男性の苦悩ははかり知れない。
 「彼らに対する家族からのプレッシャーは非常に大きく、特に一人っ子政策の下では、祖父母の世代が家系の絶えることを強く恐れている。
 しかし、今の中国では多くの男性が血脈を残すのが困難な状況にある」
と同氏は述べている。


 様々な理由で人口が流動化している。
 そして、流動人口の多くが男である。
 男性の流動化は危険をはらむ。
 社会が暴力化していくからだ。
 とくに「嫁探し」ではその男女の割合からして絶対的に解決が見いだせない
 とすれば男性側に鬱積がただただ蓄積されていくだけになる。
 とすれば、これはいつか切れる。
 明らかに社会が暴動化する。




レコードチャイナ 配信日時:2013年1月3日 7時20分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=68062&type=0

労働条件の改善で都市にとどまる労働者が増加
=福利厚生、給与アップが後押し―米紙

 2012年12月31日、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは、
 「故郷に帰りたがらない出稼ぎ労働者」
と題した記事を掲載した。以下はその内容。

 張康(ジャン・カン)さんは自動車メーカーBYDで組立て作業員をしている。
 彼は業務時間外に、工場の労働者などに靴下を売る商売もしている。
 深センに来て5年、まだ故郷に帰るつもりはない。
 彼のふるさとは深センから約1450キロ離れた河南省南陽市だ。
 地元は発展しておらず、靴下を売る商売もできないという。

 10数年にわたって、中国の経済発展は「農民工」と呼ばれる農村からの出稼ぎ労働者に支えられてきた。
 そのほとんどが農村部出身で、生産ラインや建築現場で働いている。
 あるデータによると、2011年の時点でその数は約2億5000万人に上る。

 最近の調査では、労働者の生活条件も徐々に改善してきていることがわかっている。
 オーストラリア国立大学の孟●(モン・シン、●は日に斤)教授が労働者5000人に対して行った調査によると、2012年、労働者が都市で働き始めて故郷に戻るまでの平均期間は約9年で、2008年では7.8年だった。
 孟教授は、この数字は今後さらに伸び、労働者不足の問題は消失していくだろうと述べている。

 政府は都市部に住む出稼ぎ労働者の福利厚生の充実、技能の向上を求めており、彼らの都市における滞在期間はさらに延びていくものとみられている。
 これにより、都市の労働者人口の拡大や質の向上が期待されている。
 労働者の生活保障が充実することで貯蓄の必要性が減るため、消費モデルの転換に有利にはたらくという見通しだ。

 金融危機後は職を失った約2300万人の労働者が故郷に戻った。
 経済の回復に伴い、企業や地方政府が給与の上昇や福利厚生を打ち出して、労働者の都市部回帰を促している。
 2011年には中国の製造業の給与が前年比で20%増加した。

 また、戸籍制度改革によって、都市部に流入する労働者はさらに増えるものとみられている。
 孟教授の調査によると、2012年には失業保険に加入している出稼ぎ労働者が、2008年の11%から21%にまで増加し、医療、年金、労災保険の加入割合も同様の変化を見せているという。

 工場以外の場所で成功を目指すのは張さんだけではない。
 令(リン)さんは、数年前にBYDの工場を辞め、花屋を開業したが失敗し、またBYDに戻ってきた。
 今は広東省のスワトウにいる妻を呼び寄せて一緒に働くことを考えている。
 彼は妻に「深センにはもっといい工場がある、お前もきっとここの生活に慣れるさ」と語っている。

 また、フォックスコンに勤務する馬(マー)さんは、さらに良い待遇を目指して、友人と一緒に夜間学校で企業管理と電子エンジニアリングを学んでいるという。




【中国の外交文書:“尖閣は琉球の一部”】


_