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「共産党崩壊」!!
「でも、国は滅びない」
こんな発言をしていいのだろうか。
共産党は常に正しく国民の道を照らす光である、というのが能書きの国だ。
もしかして、
習近平はゴルバチョフになりたがっているのか。
『
サーチナニュース 2012/12/26(水) 10:52
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=1226&f=national_1226_009.shtml
共産党の崩壊が国内でも議論、腐敗撲滅のジレンマに直面する中国
2012年12月19日、経済観察報主催の「The Observer Forum 2012及び第二回中国改革サミット」が北京で開かれ、北京大学光華管理学院経済学教授の張維迎氏が
「腐敗撲滅のジレンマ」
というテーマで講演を行った。
氏は講演の中で、腐敗問題が解決されなければ
党(共産党)が滅びるかもしれないが、国が滅びる恐れはない
との見方を示した。
張維迎氏は次のように指摘する。
目下の中国の腐敗撲滅はジレンマに直面している。
あまり強硬策に乗り出せば、
政府の官僚たちが軽い場合でも消極的に怠業し、
政府が麻痺状態か半分マヒ状態に陥る恐れがあり、
ひどい場合には政府の官僚たちが造反する恐れすらある。
しかし、腐敗官僚を処罰しないと国民は承知しない。
中国がこのジレンマから脱出できるかどうかは、指導者たちの知恵や勇気にかかっている。
また、我々一般国民の冷静さと忍耐力にもかかっている。
張氏は講演の中で、過去10年間における中国の腐敗状況を振り返り、主に二つの変化があると指摘した。
●.その一つは、価値を作り出す腐敗から、価値を壊滅させる腐敗へと変化したという。
20世紀80年代から90年代にかけて、いわゆる腐敗はかなりの程度まで、民間が政府官僚から権利を購入し、その購入によって資源が有効に利用された。
元々利用されなかった資源が民間企業の有効利用によって大きな価値を生み出した。
●.現在の腐敗は上記のような腐敗とは違い、政府官僚の権力の濫用、特に既に民間に許可した権利による腐敗が増えているという。
80年代から90年代にかけての腐敗は体制改革に伴う腐敗であるが、腐敗過程においては政府の一部の権利を放出したため、ある意味で中国の市場化改革を推進したとも言える。
過去10年間の腐敗は体制の後退と関連するもので、腐敗がますますひどくなってくる。
しかし、体制の方は市場化とますますかけ離れていく。
80年代から90年代にかけての腐敗は商人が官僚に賄賂を贈る形でなされたが、過去10年間の腐敗は官僚が官僚に賄賂を贈る形でなされ、これを「買官売官(官職を買ったり売ったりすること)」と言う。
勿論商人による官僚への賄賂もなかったわけではないが、「買官売官」と比べたらそれほど重要ではなくなった。
腐敗取締り措置がますます厳しくなるにもかかわらず、腐敗はますますひどくなる。
腐敗取り締まり関連の記事を百度で検索してみると、
2003年には1.19万件あったのが、
2004年には7.62万件にまで上昇し、
2005年には7.3万件、
2006年には10.6万件、
2010年には24.6万件、
2012年はもう既に86.1万件
となっていて、上昇の勢いには歯止めがかからない。。
このような深刻な腐敗状況は、人類の歴史上如何なる国においても類を見ないものかもしれない。
腐敗は中国国民にとって、執政者への最大の不満となっているかもしれない。
それゆえ、習近平氏が中国共産党の新しい指導者に就任した直後から腐敗撲滅を真っ先に取り組むべき課題にしている。
腐敗撲滅が執政党の最も重要な解決すべき課題になったことは間違いないようだ。
しかし、腐敗取締が過去に対する「清算」に留まるだけでは、理想的な効果に達せず、腐敗撲滅の最初の目的に達することができなくなったしまう。
はっきり言えることは、寛容と赦免のない大規模な腐敗撲滅は、強烈な抵抗に遭うだけではなく、政治改革の悲願の実現も水の泡となってしまうことが予想される。
現在の多くの腐敗と民生への無視は不良制度によるもので、権力が勝手気ままに振舞い、監督や制約を受けることはない。
腐敗取締の最終目的は腐敗を防止することで、腐敗が生まれる土壌を取り除くことである。
腐敗が生まれる土壌を取り除かないかぎり、いくら厳しく取り締まっても、腐敗者を何人処刑しても、腐敗は後を絶たず、社会は良くならない。
腐敗の土壌を取り除くこと自体が経済改革と政治改革の中心である。
権力の比重を軽くし、管制を軽減する。
財産や市場の自由を保障し、監督や制約を強化する。
司法を独立させ、民主憲政を実施し、差額選挙を行う。
政治競争を公開して民衆に選択させ、報道の自由を保障する
等等。
』
『
サーチナニュース 2012/12/26(水) 10:58
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=1226&f=national_1226_010.shtml
全体主義への反抗を描いた映画がCCTVで放映されて波紋-中国
12月14日の夜、CCTV6チャンネルが映画『Vフォー・ヴェンデッタ』(原題:V for Vendetta)を放映した。
これは前代未聞の出来事であり、微博(中国版ツイッター)で熱い議論を引き起こした。
ある中国のネットユーザーは驚いて
“このような映画が中央テレビで放映されるなんて、夢を見ているかと思った”
とまで叫んだ。
かつて一度は放映が禁止された映画が、初めて大陸で放映された。
映画の中の名台詞
“人民は政府を恐れるべきでなく、政府は人民を恐れるべきである”、
“芸術家はうそをもって真実を明らかにし、政治家はうそをもって真実を隠す”、
“仮面の下には肉体だけでなく、思考も存在する。思考は銃弾を恐れない”。
など、率直で、赤裸々な表現はネット上に広まった。
これは一体どのような映画なのか?
なぜこれほど多くのネットユーザーの間で高い評価を得ているのか?
『Vフォー・ヴェンデッタ』とは、全体主義政府のもとで武装蜂起することについて述べている。
ほぼ一人の人物が国家機関への復讐に挑む物語である。
全体主義の特徴を明らかにし、反抗を促す映画で、この反抗の意義は直ちに古い体制を覆し、新しい世界を築くことにはないように思われる。
なぜならこれまでにたった一度も、誰一人といえ、一度の反抗だけで変革を成し遂げたことはないからである。
民主主義が滅び、法が姿を消す;
宗教が卑劣と腐敗で満ち、極端な宗教思想が人の基本的な道徳観を凌駕する;
人民は冷静な頭脳を持ちながらも団結力がないことは、政府に恐怖を感じさせるのに十分である。
この時、反抗の意義は当然拡大すべき勢力が拡大するかにかかっていた。
つまり正義、自由、民主。
またある人は、この映画は自由と民主主義の思想を広めたと考えている。
当然映画の中では民間に自由はなく、政府の権利は限りなく大きく、民衆に言論の自由はなく、政府は自由に事実をゆがめ、善人に濡れ衣を着せるなど、中国人からするとどこか見覚えのある場面が描かれている。
かつて西洋社会も似たような歴史をたどってきた。
そして彼らは現在民主と自由を手にしている。
民主主義と自由の初期段階に身を置く中国人がこれらすべてを目にしたときに受けた感銘はまた特別である。
あるネットユーザーはブログの中で
“映画を見ているうちに涙があふれ、私はまさに映画の中で生活しているような感覚に陥った。
この映画が描いているのは現実の社会そのものだ”
と綴っている。
この作品は中国の映画界では放映禁止のカテゴリーに入る。
理由は言うまでもないことだが、映画が検閲されていることに慣れてしまっている民衆が一気に公式版の“問題作”に触れたならまた別の感情を生み出すことは避けられない。
それだけでなく、突然各BBS上ではこの話題で収拾がつかなくなり、映画の中で象徴的に使用されているVの字は頻繁にウェブ上の画像や自己紹介メッセージにまで用いられる。
明らかにこの現象は単なる偶然ではなく、民間の知恵と知性の覚醒と社会現象が引き起こした結果である。
もし誰かが、平和と自由及び人権が保護された社会の中で生活する自分を真剣に考えるなら、『Vフォー・ヴェンデッタ』は今一度中国の社会を再考する機会を中国人に与えるものとなる。
この映画は一針の強力な解毒剤だけでなく、破滅にいたる人類の思考パターンから救出するものとなる。
この映画は単に社会の変化を希望する人或いは自分の信仰を肯定するまた既得権益を譲らない人のために準備されたものではない。
では果たしてこの映画がCCTV-6で放映されたことは私たちの願いを何からのメッセージとして伝えるものとなるだろうか。
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【中国の外交文書:“尖閣は琉球の一部”】
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