●中国外務省の外交文書「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」の原文コピー。写真右は表紙、同左は75ページにある「尖閣諸島」の文字
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NHK NEWs web 12月28日 9時36分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121228/k10014492441000.html
中国の外交文書“尖閣は琉球の一部”
中国政府が1950年に作成した外交文書の中に「尖閣諸島は琉球の一部である」と認める記述があることが一部報道で伝えられ、尖閣諸島をみずからの固有の領土だとする中国の主張の一貫性を疑わせるものとして波紋が広がっています。
これは時事通信が、27日、文書のコピーを入手したとして伝えたもので、それによりますと、問題の外交文書は、1950年5月に中国政府が作成した
「対日講和条約における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」
です。
文書の中で、中国政府は、沖縄県の尖閣諸島について、現在中国が使っている釣魚島という名称を一切使わず「尖閣諸島」と明記しているということです。
さらに、文書は尖閣諸島を現在の沖縄県に当たる
「琉球の一部である」
と認め、
「尖閣諸島を台湾に組み込むべきかどうか検討の必要がある」
といった記述もあるということです。
この報道について、中国外務省の華春瑩報道官は、27日の定例会見で「報道の状況がよく分からない」と述べる一方、
「中国の島に対する主権は歴史的にも法的にも十分な証拠がある」
と反論しました。
中国政府は、これまで尖閣諸島について
「台湾の一部であり、以前から釣魚島の名称を使っていた」
と主張していますが、今回の報道は、そうした主張の一貫性を疑わせるものとして波紋が広がっています
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jiji.com 2012/12/27-14:37
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012122700471
中国外交文書に「尖閣諸島」
=日本名明記、
「琉球の一部」と認識-初めて発見
【北京時事】沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐり中国政府が1950年、「尖閣諸島」という日本名を明記した上で、琉球(沖縄)に含まれるとの認識を示す外交文書を作成していたことが27日分かった。
時事通信が文書原文のコピーを入手した。
中国共産党・政府が当時、尖閣諸島を中国の領土と主張せず、「琉球の一部」と認識していたことを示す中国政府の文書が発見されたのは初めて。
尖閣諸島を「台湾の一部」と一貫して主張してきたとする中国政府の立場と矛盾することになる。
日本政府の尖閣国有化で緊張が高まる日中間の対立に一石を投じるのは確実だ。
この外交文書は「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」(領土草案、計10ページ)。
中華人民共和国成立の翌年に当たる50年5月15日に作成され、北京の中国外務省档案館(外交史料館)に収蔵されている。
領土草案の「琉球の返還問題」の項目には、戦前から日本側の文書で尖閣諸島とほぼ同義に使われてきた「尖頭諸嶼」という日本名が登場。
「琉球は北中南の三つに分かれ、中部は沖縄諸島、南部は宮古諸島と八重山諸島(尖頭諸嶼)」
と説明し、尖閣諸島を琉球の一部として論じている。
中国が尖閣諸島を呼ぶ際に古くから用いてきたとする「釣魚島」の名称は一切使われていなかった。
続いて「琉球の境界画定問題」の項目で「尖閣諸島」という言葉を明記し、
「尖閣諸島を台湾に組み込むべきかどうか検討の必要がある」
と記している。
これは中国政府が、尖閣は「台湾の一部」という主張をまだ展開せず、少なくとも50年の段階で琉球の一部と考えていた証拠と言える。
東京大学大学院の松田康博教授(東アジア国際政治)は
「当時の中華人民共和国政府が『尖閣諸島は琉球の一部である』と当然のように認識していたことを証明している。
『釣魚島』が台湾の一部であるという中華人民共和国の長年の主張の論理は完全に崩れた」
と解説している。
中国政府は当時、第2次世界大戦後の対日講和条約に関する国際会議参加を検討しており、中国外務省は50年5月、対日問題での立場・主張を議論する内部討論会を開催した。
領土草案はそのたたき台として提示されたとみられる。
中国政府が初めて尖閣諸島の領有権を公式に主張したのは1971年12月。
それ以降、中国政府は尖閣諸島が「古来より台湾の付属島しょ」であり、日本の敗戦を受けて中国に返還すべき領土に含まれるとの主張を繰り返している。
領土草案の文書は現在非公開扱い。
中国側の主張と矛盾しているためとの見方が強い。
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サーチナニュース 2012/12/28(金) 11:26
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=1228&f=politics_1228_006.shtml
中国外交文書「尖閣は琉球の一部」
…記者会見録から関連部分カット
時事通信社は27日付で、中国(中華人民共和国)が1950年、「尖閣諸島は琉球(沖縄)に含まれるとする外交関連文書を作成していたと報じた。
同日、北京市内で行われた中国政府・外交部の定例記者会見では同件についての質問が出たが、華春瑩報道官は
「よく分からない」
などとして直接の回答を避けた。
外交部はホームページに掲載した定例記者会見の記録で、関連部分を削除した。
これまでも、中国が1971年に初めて「釣魚島(尖閣諸島の中国側通称)は中国領」と主張する以前に、
①.共産党機関紙の人民日報や、
②.中国国営・地図出版社(当時)が「尖閣諸島は日本領」と解釈できる文章や図を掲載したことがあったが、
政府文書において「尖閣諸島は日本領」との記述が見つかったのは初めて。
「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」
と題する文書で、
「尖閣諸島を台湾に組み込むべきかどうか検討の必要がある」
と記述した。
中国政府は、
「台湾は中国の一部」、
「釣魚島は台湾の一部」、
「日本は第二次世界大戦の敗戦の結果、台湾本島などと同様に釣魚島も中国に返還して当然」
と主張している。
中国政府の公的文書に
「尖閣諸島は琉球の一部」との記述があれば、中国側の論法が崩れたことになる。
中国外交部が27日に行った定例記者会見では、同公文書の問題について質問が出た。
華春瑩報道官は「報道の状況がよく分からない」と述べた上で、尖閣諸島について「中国の主権は歴史的にも法的にも十分な根拠がある」と主張した。
中国外交部は記者会見の様子をホームページ上で公開しているが、同日の定例記者会見で、
「尖閣諸島にかんする質疑応答」の部分は掲載しなかった。
中国外交部は、週2回の定例記者会見の様子を公式サイトで掲載している。
主に国内向けの情報公開の一環だが、“微妙な問題”では削除する場合がある。
2010年4月6日の記者会見では、麻薬密輸罪で死刑が確定していた赤野光信死刑囚(65歳)に対する刑執行にかんする質疑応答を、09年6月2日の記者会見では、発生後10年を迎える「天安門事件(89年6月4日)」にかんする問答を削除した。
02年の日本総領事館に北朝鮮から脱出した家族(脱北家族)が駆け込んだ事件や、
08年の「毒ギョーザ事件」でも、情報を掲載しなかった。
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【中国の外交文書:“尖閣は琉球の一部”】
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